てこの3日間で100回くらい思った。
東日本大地震。
仙台で自分の住んでる所は3回目の夜を迎える直前にライフライン復旧。
その後は日本各地の節電のお陰で暖かい部屋でヌクヌク出来てます。



こんばんはっ。
記録として地震発生直後からライフライン復旧までを日記に残します。


発生当日。
地震発生は11日、時計の針は15時を指す数分前だった。
自分は帰省前ラストのバイトへ行く前に納豆ご飯を食べてた。
突然のすごい揺れでバイトの制服の上に納豆をこぼした。
あっちゃ~とか思ってすぐ洗い流しに部屋を出ようとしたら部屋の中扉の向こうの冷蔵庫がスライド移動してて部屋に閉じ込められた。
しょうがないからマンションのベランダに出て下を通りかかった人に声掛けて鍵渡して助けてもらったよ。
で、ノートPCのネット接続が切れてる事から停電に気付いた。
しょうがないから綺麗な方の制服持ってバイト先に行くことにした。
この時は揺れはすごかったけどあの副店長の■スの事だからどうせケロッと営業してんだろ、とか思って雪の中チャリを漕いでった。
チャリを漕ぎながら停電だから宅配の電話こないんじゃね?ラッキー!とか軽い事考えてた。
でも街中に人が溢れてて信号機も機能して無くてすぐに事態の重さを感じた。
大通りとかもう車と人が溢れててバイト先までたどり着くのが大変だった。
で、バイト先着いて唖然とした。
店はグシャグシャであの副店長もこれからどうしたらいいのか困ってたっぽい。
店先にバイト仲間がいた。
事情を聞くとすごかったらしい。
副店長のリーダーシップが。
震度6弱の揺れの中厨房のガスを全部消してお客とアルバイトを全員店外に誘導してって。
流石です。
で、フワ先輩がいた。
目が合うなり「てんぷらぁぁぁ!」とか駆け寄ってきてケツに蹴りいれられた。
地震前日のフラメンは俺がやったんだけど俺が入れ替えた油の量が多かったせいで危なかったとかなんだとか...そんなこと言われても....って思ったけど怪我がなくてよかった。
で、とりあえず店の前に溜まって皆で話をしてたんだけど余震がこれまたすごかった。
地面があんなに揺れるとか生まれて初めて。
隣にいてビビったフワ先輩が俺の腕をわしっと両手でつかんで身体を寄せてきた時はなんてベタな俺得展開だよとか思った。
これが2,3回あったんだけど不謹慎にも余震GJ!とか思ってしまった。
で、他の店舗の副店長やら本社の人やら来てたっけ。
とりあえず当日切れのバンズをもらった。
アーケードは泣きながら携帯で電話してあるく人や多分妹の手を引きながら歩くお姉ちゃん、子供に防災ずきんをかぶせて手を引くお母さんみたいな人たちがたくさんいた。
余震が本当に激しかったんだけどそのたびに悲鳴みたいなのが聞こえてきて「あぁ...こりゃ面倒な事にまきこまれちまった...orz」とか実感してた。
家族に安否の報告しようとしてたら携帯の電池がきれたしあっちゃ~って思った。
社員さんの携帯のワンセグで気仙沼の映像を見た時はあっちゃ~って思った。
でもまだ今回の地震の重大さを本当には分かってなかった。
とりあえず解散って形になって帰る途中で災害派遣のジープを見た時にはまじかよっっていう驚きと自衛隊来んの早っって思った。
部屋に戻るも電気もガスも止まってた。
部屋に戻ったのは18時近くて外はもう暗かった。
いつもは仙台の夜景がすごくきれいなのに完全な暗闇だった。
寒いし暗いし寝ちまって朝目覚めよう!とか思ってたら10時くらいに目がさめた。
ダメもとで携帯の電源入れなおしたら何故か電池が2本だった。
ワンセグ起動してみたらテレビのテロップに「観測史上最大M8.8」の文字。
唖然とした。
そしてその3秒後ぐらいに携帯の電池が再度お亡くなりになった。
あ~これまじでヤバイ状況なんだ俺...とかやっと、この時やっとヤバさに気付いた。
やる事ないからベランダに出たら今まで見たこともない様な満点の星空でビックリした。
仙台のビル群の陰の上に満点の星空。
感動する来るらい綺麗だった。
東北の全部の電気が消えたんだからあの星の綺麗さも納得。
朝になるまでに流れ星も4つみた。
頭上から北北東の空へ落ちてった。
で、遥かかなた東の地平線にメラゾーマみたいになってる所があった。
オレンジ色の光がメラメラ揺れてて立ち上る黒い煙を照らしてて不気味だった。
後で知ったんだけどこれは仙台の石油コンビナートが爆発して起きた大規模火災だったらしい。
それで4時くらいに寝た。
8時に目が覚めた。

地震発生翌日。
まだ戻らない電気に、いつの間にか止まってる水道に唖然としてベッドに座りこんでたらワンゲル部の友達のCが訪ねてきた。
Cはワンゲル部の底力を発揮していて、いたって充実したサバイバル生活を展開してるらしかった。流石。
で、それで米炊いたからってソフトボール大のおにぎりを分けてくれた。
マジ感謝。
それでCは暇でサイクリングついでに色々回るって言うから俺もそれについてくことにした。
大学の寮とCの引っ越し先、避難所、Cのバイト先、モスを回った。
寮もスゴイ荒れ様だった。
Cの新居は木造の柱が1本ぽっきり逝ってた。
避難所は人が溢れてた。
中に友達を探しに行ったCを外で待ってる間、外人親子が遊んでるのをずっと眺めてた。
外人は強いね、日本人は皆草臥れて見えた。
無理もないけどさ。
避難所の入口には水、食糧ありませんの文字。
安否確認用に名前を書いてくださいとか書いてあった模造紙には日本語から英語、チャイ語とよくわからない言語で人の名前がびっしり書かれていた。
変なところで仙台のグローバルな部分を感じた。
もどってきたCと共に待ちの中心部へ向かった。
なんかいろんな店が露店みたいにモノを売っていたんだけど●協とか100円のお菓子を200円で売っていて「きたねぇよ。」と思った。
その向かいでは飲料の卸売業者のおっさんが「こんな時に商売なんかヤッテランネー」とかいいながら500mlのジュースを一本100円で売ってた。
何この差とか思った。
こう言う時ほど人間が出るよなぁ~とか思いつつも●協は停電でおじゃんになった生鮮食品の損害を日持ちする商品の売り上げでカバーしようとしてんのかなとか要らん所に意識がいったりした。
流石に大学病院とその近くの信号の電力だけ復旧してるみたいだった。
Cのバイト先の国分町の焼き肉やに寄ったけどガスが復旧したら営業再開するとか言ってた。
たくましいなおい。
で、再度■スへ行った。
そしたら一番仲良しの社員さんと会った。
本当はは言っちゃだめなんだけど店の中の様子を見せてもらったけどすごかった。
バイトの先輩のTさんもそこで合流した。
早くも街の中心部の電力は復活してるらしかった。

なんかもうあれだ。
書くのつかれた。
いやいや、記録としてだからかかなければっ。

で、なんかどうせ出来る事ないからってその場にいた4人で俺の部屋で麻雀することになった。
だからCとは一旦別れて俺と社員さんと先輩の3人で歩いて俺の家へいって麻雀した。
いつまでたってもCが俺の家にこないから書き置き残して3人で■スに戻った。
この時も本当はダメなんだけど店内はいらせてもらった。
一部秘密日記参照。
そして解散して部屋に戻った。
もう周りは真っ暗だった。
でも街中は明りが付いてた。
星はもう見えなくなっていた。
東の空はまだオレンジ色に燃えてた。
この日はもう寝た。

地震発生2日後。
14時に起きた。

だめだ書くのつかれたorz
記録としてだからちゃんと書くつもりだけどつづきはまた後日にする。

コメント

ミドリ
2011年3月14日8:08

乙。とりあえず大変だろうがいろいろ頑張れ。

Mexican Flyer
2011年3月14日9:51

馬路大変だ、午後は街に出てボランティアしてくる。

Nak.D
2011年3月14日12:03

生きてて良かったとしか、言いようがないな

Mexican Flyer
2011年3月14日12:07

まったくその通り。俺の先輩とか実家が南三陸町っていうからね。心配だ。

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索